デザイナーになりたい

こんにちは!
トータルイメージプロデューサーの和田育美です。
ご本人の魅力を外見に現して、お仕事や人生に飛躍のお手伝いをすることが生きがいと感じています。

今日は今のお仕事に至った私の経緯をお話ししていきたいと思います。

目次

小さい頃の夢

北海道の大自然の中で4人兄弟の1番上として育ちました。
近くには同年代の子がいなくて、お友達の家まで行こうと思ったら1キロもある( ゚Д゚)
遊びに行きたいのに遠すぎる。。。

そんな距離だから、お友達とは会えず、ほとんど妹と遊んだり、弟のお世話をしていました。

家が農家だったので、両親は共働きで夜まで帰らない、小学校3年生から夕飯の係りになっていました。
近くの畑でとれた野菜で夕飯作り。
この頃からものを作ることが好きだったようです。

だんだん毎日のルーティンがイヤで、趣味だけやるように…

土日にお菓子を作るようになったり、
手芸が好きでマスコット作りから始まって、
いつのまにかリカちゃん人形の洋服を作っていたように思います。

お洋服を作る時はまずシチュエーションを想像して、それに見合った生地を探す!

パーティーに行く時のセットアップ
おでかけ時のブラウスとスカート
リゾートの時のワンピース
結婚式のウエディングドレス

生地はお母さんの着なくなったお洋服をばらした布やカーテン生地がわちゃわちゃに入った段ボールからインスピレーションで選ぶ、スカートはフワッとして上はタイトで厚みのあるもの。。。

想像している時も作る時も楽しくて楽しくて

そしてある日遊びに来た親戚のおばさんに見せたら、『すごい!こんなのが作れるなんて天才だね!この道に進んでもいいのかもね』とものすごく褒められたのがきっかけで、洋服の仕事がしたい❣と思うようになりました。

その頃、テレビで見た桂由美のウエディングドレスを着た花嫁さんに衝撃を受け、将来ウェディングドレスデザイナーになりたいなぁという夢ができました。

自分のビルの1階はドレスがたくさん置いてあって、2階でお茶を飲んで、3階でデザインしたドレスの試着をして、花嫁さんが世界一美しくなるドレスを作りたい、なんて言う夢を持っていました。

そんな夢を抱きながら、中学校の家庭科でのエプロン作り、ワンピース作りが、町内のコンテストで金賞とったことで、ますます洋服作りをしたいと言う気持ちが固まってきました。

なんと!すごく嬉しくて記念にとっておいてる

高校では、文化祭で衣装のリーダーをしました。

手作りした衣装たち、何とか出来て安堵中 センスなしなしの頃

デザインは良かったけれども、全然思った通りに仕上がらない(+_+)
なんだかセンスもない。。。
都会で専門的に勉強が必要だなぁと感じていました。

もう夢は1本!洋服のデザイナーになる事しか私の頭の中にはありませんでした。

デザイナーになる!

高校卒業後は憧れの洋服の専門学校へ3年勉強することができました。

1年目はブラウス、スカート、ジャケットを自分の体型のパターンをひいて生地を切って縫って作り上げると言うオートクチュールのやり方を学びました。

ドレスやブラウスのパターンは一から引いたもの、たくさん作った内の一部

2年目は、それに加えて子供服やドレス作成

アイロンでクしゃっとしてプリーツを作って衿にしたドレス。黒のドレスはレースにビーズ差しをするのが無限すぎて辛かった

3年目はショーのための非現実的なデザインがおもで年間10着近く作っていたように思います。

テーマは風、作ったときは全部真っ白で歩くと裾がランダムで動いてキレイ。1枚ずつ裾をつけるのが大変だった思い出の品

この基礎があるおかげで、洋服作りの細部はかなり体得したように思います。

そしていよいよ憧れのデザイナー兼パタンナーとしてアパレル企業に入社したのです。
(東京ではなく札幌だったけど)

あんなことがあるとは思わずに

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